- 平安〜鎌倉時代
- 江戸〜現代
悠久のストーリーを追って。
長い歴史を持つ宮城。各地にはかつての風土や信仰の記憶を伝える、史跡や史料が数多く残されています。それらの貴重なスポットを辿ることで、伊達政宗公が治めた藩政時代や近代、そして現在につながる壮大なストーリーに触れることができるかもしれません。
いにしえの信仰の地を辿って
宮城県には、多賀城のほかにも1000年以上の歴史を持つ史跡やスポットが数多く残っています。
牡鹿半島の海上に浮かぶ「金華山」は東奥三大霊場として信仰を集め、島全体が神域。約1250年前に創建された金華山黄金山神社は「3年続けてお参りすれば一生お金に苦労しない」とも言い伝えられています。関東からも参拝者が訪れ、お伊勢参りにも匹敵する人気でした。
令和となった今、当時の人々が歩いた「金華山道」を辿りながら参拝することで、かつての文化を追体験できるかもしれません。
牡鹿半島の海上に浮かぶ「金華山」は東奥三大霊場として信仰を集め、島全体が神域。約1250年前に創建された金華山黄金山神社は「3年続けてお参りすれば一生お金に苦労しない」とも言い伝えられています。関東からも参拝者が訪れ、お伊勢参りにも匹敵する人気でした。
令和となった今、当時の人々が歩いた「金華山道」を辿りながら参拝することで、かつての文化を追体験できるかもしれません。
宮城に残る飛鳥から鎌倉の足跡を巡る
角田市にある高蔵寺阿弥陀堂は、宮城県最古の木造建築で、平安時代の1177年の建立と伝えられます。平安時代の建造物は全国で26か所しか残っておらず、現存する数少ない貴重な文化遺産です。
そのほかにも、国内で唯一1400年前の古墳壁画の実物を見ることができる山元町歴史民俗資料館や、陸奥守として多賀城に赴任した坂上田村麻呂が建立したと伝えられる涌谷町の箟峯寺など、歴史あるスポットが盛り沢山です。
そのほかにも、国内で唯一1400年前の古墳壁画の実物を見ることができる山元町歴史民俗資料館や、陸奥守として多賀城に赴任した坂上田村麻呂が建立したと伝えられる涌谷町の箟峯寺など、歴史あるスポットが盛り沢山です。
今も息づく、歴史と文化。
仙台・宮城の発展の礎を築き、世界までも見据えていた初代仙台藩主・伊達政宗公。その高い志と美意識がうかがえるスポットが、県内各地のそこかしこに。さらに近現代の人々の営みや震災からの復興を体感できる施設を巡り、今に伝わる宮城の歴史と文化を辿ってみてはいかがでしょうか。
いにしえの信仰の地を辿って
宮城県には、多賀城のほかにも1000年以上の歴史を持つ史跡やスポットが数多く残っています。
牡鹿半島の海上に浮かぶ「金華山」は東奥三大霊場として信仰を集め、島全体が神域。約1250年前に創建された金華山黄金山神社は「3年続けてお参りすれば一生お金に苦労しない」とも言い伝えられています。関東からも参拝者が訪れ、お伊勢参りにも匹敵する人気でした。
令和となった今、当時の人々が歩いた「金華山道」を辿りながら参拝することで、かつての文化を追体験できるかもしれません。
牡鹿半島の海上に浮かぶ「金華山」は東奥三大霊場として信仰を集め、島全体が神域。約1250年前に創建された金華山黄金山神社は「3年続けてお参りすれば一生お金に苦労しない」とも言い伝えられています。関東からも参拝者が訪れ、お伊勢参りにも匹敵する人気でした。
令和となった今、当時の人々が歩いた「金華山道」を辿りながら参拝することで、かつての文化を追体験できるかもしれません。
支倉常長は帰国後、伊達政宗公から隠棲を命じられ、84歳の生涯を終えるまで大郷町で過ごしたと言われています。緑が美しい園内は常長が永眠するという墓まで遊歩道が整備され、壮大な歴史浪漫を感じることができます。
1545年、支倉常長の祖父・常正が築城した、東西400m、南北600mに及ぶ大型の連廓式山城跡です。四方に巡らされた土塁と巨大な空堀は、歴史の舞台としての魅力を感じられます。
仙台伊達家からの寄贈資料をはじめ、江戸時代を中心とした仙台藩に関わる歴史・文化・美術工芸資料など約10万点を収蔵しています。常設展示は季節ごとに展示替えを行っています。
白石城下の水路と武家屋敷をめぐるコースや、伊達政宗の白石城攻略から戊辰戦争までのあれこれを巡るコースなどがあり、ガイドと一緒に楽しめます。
明治から現代まで、人々の記憶にふれる
登米市の「みやぎの明治村」には、教育資料館(旧登米高等尋常小学校)や旧登米警察署庁舎のハイカラな洋風建築物、旧水沢県庁庁舎、蔵造りの商家など、明治を偲ばせる建物が現存。
また、東松島市の野蒜築港は、明治11年に政府が威信をかけて日本初の洋式近代港湾として着工した港です。しかし、当時の技術では風波や漂砂の問題が解決できず、日本を代表する国際港は幻に。現地に残る煉瓦の橋台や鳴瀬川河口の突堤が儚い夢の終わりを伝えています。
また、東松島市の野蒜築港は、明治11年に政府が威信をかけて日本初の洋式近代港湾として着工した港です。しかし、当時の技術では風波や漂砂の問題が解決できず、日本を代表する国際港は幻に。現地に残る煉瓦の橋台や鳴瀬川河口の突堤が儚い夢の終わりを伝えています。
白石城下の水路と武家屋敷をめぐるコースや、伊達政宗の白石城攻略から戊辰戦争までのあれこれを巡るコースなどがあり、ガイドと一緒に楽しめます。
明治新政府が東北地方の殖産興業と華士族授産を図って着工。明治15年、鳴瀬川河口に突堤が完成しますが、船舶停泊予定地の風波や漂砂の問題が解決できず、明治18年以降工事は中止された、幻の港です。
震災からの復興を体感
東日本大震災で大きな被害を受けた地域も、着実に復興の歩みを進めています。
南三陸町の「南三陸311メモリアル」や、女川町の「道の駅おながわ」をはじめ、沿岸部各地で東日本大震災の教訓や復興の歩みを体感できます。
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